この記事は2019/4/3に公開後、編集して再公開しています。

 

 けものフレンズ2が最終話を迎えた。

 

 現在その作品はいろいろな意味で注目されてしまっていて、利用している動画サイトだとコメントで様々な心無い言葉が赤く書かれている。あくまで主観ではあるが、そのアニメはもう「貶すためにあるから観ている人」もいると自分は思っている。

 その作品に関してのコメントは動画サイト以外でも見かけるが、批判は本当に多い。自分もその作品に対してはいろいろと思うところはあるのだが、あるコメントに関しては賛同できないし擁護できない。

 

 「製作者の人格否定」と「視聴者の人格否定」。この二つの書き込みはしてはいけないと自分は思う。

 

 まず、製作者の人格否定について。

 何故かと言われるといろいろあるが、「製作者も人だから」というのが個人的には一番大きい。例えば知らない人から「君は仕事のスピードが遅いからロクでもない奴なんだな」「君の書く字は下手で、つまり性格が悪いんだね」と言われたとき、快く思う人はいないだろう。そういったことを考えれば何故してはいけないのかがわかると思う。

 当然、エンターテイメントを制作してお金をもらっているのだから、面白かったと思えるのは最低限のラインであるということはあるだろう。だから面白く思えなかったらお金を払ってもらえなくても仕方がないとは思う。

 しかし、それは有料の場合の話であって、けものフレンズ2は基本的に無料で視聴することができ、批判のためにコメントをするというのは違うと思う。今の時代無料であろうと有料であろうと他に見られるアニメの選択肢は沢山あるわけだし、特に無料で観ているのであれば、黙って他に行けばいいだろうと思う。

 ただ、前作のアニメけものフレンズはかなりの人を魅了し楽しませた作品で、それに続く作品としての期待に応えられず、前作の魅力とはそぐわない進行があったことなどで、「思い出を汚されたことへの怒り」があることはあると思う。それでも、製作者の人格を否定することはしてはいけないことだと思う。 

 そして、商業作品であることは多くの人が関わっていることであり、表には出てこなくてもその作品を支えている人たちは多くいる。その人たちが日々働いて製作して世に出回っていることを考えると、とてもその人たちが報われることだとは思えない。

 

 視聴者の人格否定については、それを楽しみにしている人がいるのに「これは貶すための作品だ」という人が押し寄せ、楽しみにしている人自身を否定されたらアニメーションとは関係のないところで離れていってしまうからで、「自分は嫌いかもしれない他人の楽しみを奪うことになる」と同時に「それを観ると視聴者は自身を否定されるという認識がついてしまう」ということである。

 アニメーションの話だからこういった例を出すが、近年はアニメ=子供向けの娯楽という認識では無くなってきていて、忘れてしまった、もしくは知らない人がいるとは思う。以前はオタクというのは白い目で見られることが多く、苦労した人は多いと思う。そういった自分が好んでいるものを否定される苦しさというのは、よほど良い環境で暮らしていない限りは出会っていると思う。「こいつこんなのものが好きなのかよ」と思うことは別に構わないが、それを、そのコンテンツの見られる場所に書く行為は自分が感じた苦しみを他人に与えているだけだと思う。

 

 観て不快に思うのであるのであれば、なぜ黙って離れないのだろうと考えると、批判している人は基本的に何度か書いている通り「貶しめたいから」「悪口を言いたいから」ということなのだろうけども、嫌なら観るなという言葉に従って欲しくはある。怒るのは中毒性のようなものがあるのは個人的に思っていて、その引力に惹かれてしまうのはわからなくはないが、製作者の作品にそれを書くというのは品がないことだと思う。 

 ただ、「他人の気分を害することを知っているから」それらをする人たちはいると思う。そういった人はもうそれは好きでしょうが無くなってしまっていると思うから、システム的にどうにかするしかないのだろうと思う。 

 

 なんだか、コンテンツを終わらせるのは作品の質ではなく、周りにいる人々なのではなんて思ってしまって、悲しくなってしまった。

 だけど、個人的にはけものフレンズプロジェクト自体のテーマは面白くて深みがあって何十年と続いて行けられるものだと思っているし、アプリもアニメも楽しませてもらったので、こんなことで辞めになって欲しくはないなと思う。