けものフレンズのロゴなどが好きだ

 この頃けものフレンズ関連のグッズを買った。

 

 

 BDについては書店に2巻しかなかったから本当は緑色の2巻を買った。後々全巻揃えるつもりだ。けものフレンズはネット上で配信終了してからだいぶ経ったけれども今見てもやっぱり面白い。

 

 

 

 で、前から思っていたけれどもけものフレンズはパッケージとかフォントとかもう少し注目されてもいいというか、話題になってもいいんじゃないかなと思っている。ロゴジェンレーターの方は話題になったけど。

 

dic.nicovideo.jp

 

 

 ネット上だと「すごーい!」「〇〇のフレンズなんだね!」などのセリフだったり、サーバルちゃんの1話でのカバとの会話シーンの顔だったりが有名だけれども、ガイドブックのビビットな色の選び方とか、フォントの可愛らしさのある丸みと動物の耳を組み合わせた形状とか、そういったデザイン関係の部分もとても可愛らしく力強いものだと思う。

 個人的にはやっぱり「の」が印象に残る。アニメ版でシーン切り替えで大量に出てきたりジャパリパークの所々にマークとして出てくるあたり、公式でも気に入っていたのか、それとも最初からそのつもりで制作していたのか。たぶん後者だろう。

 だけど好きなのは「けものふれんず」の7文字の中から選ぶとなると「ズ」になると思う。全体的にカクカクしているカタカナなのに右下部分を丸くするという発想がすごくいいと思う。フレンズのフレンの部分は丸みのある曲がり方はないのになぜズの右下は丸く収めたのだろう。全体的に丸いイメージにしたかったからなのか、動物の尻尾をイメージさせたかったからなのか、どうなんだろう。

 あと、配色については1文字に2色入れているのがすごい発想だと思う。「アニメ ロゴ」でググってみたり記憶を辿ってみたりしたけど、だいたいロゴには1色か2色で統一させてるか、1文字1文字を別色にしてそれでカラフルにしているんだけども、けものフレンズの場合は1文字に2色入れている。多様性というか、沢山のフレンズを意味するために多めに色を入れたかったんだろうか。あと、「の」と「ズ」では反対色を組み合わせているのもすごいと思う。ほかの文字は近似色で組み合わせているのだけれども、この2文字は反対色を使っている。ハレーションとか気にしなかったんだろうか。あと、この2文字は丸みを押した感じの形になっているので、「の」と「ズ」に関してはなにかあるんだろうか。

 いろいろとここってどういう理由でこうなったのだろうという部分も多く、想像を掻き立てられる部分もある、自分にとってはすごく印象に残るデザインでとても好きだ。

 

 

 最後に、キャラクターソングがとてもよかったので貼っておく。

 

 

 かばんちゃんの歌を目当てに買ったのだけれども、ホップステップフレンズが思った以上によかった。他の曲もとてもいい曲で買ってよかったと思う。満足。

 

後悔するということは改善する余地があることらしい

 2ヶ月程前の話ではあるけどバイト先のリーダーに教えてもらったのでメモしておく。

 

 バイト先で辞めたいと思っていたのでリーダーには辞めさせてもらえませんかということを二週間前に伝えたところ、店長からもう一度考えてくれと伝言がきたと言われた。リーダーとしても辞めて欲しくはないようで、バイトを辞めたい理由を話した。

  理由は向いていないと思ったから(一部のお客さんへの対応がきつい、仕事をこなすのが遅いので残業になる)。自分なりに頑張ってはみたけども改善する感じには思えないので辞めさせて欲しいということだった。

 そうしたらリーダーには「そういう感じで、あぁできなかったなあと後悔するってことは改善する余地があるってことだよ」と教えてくれた。詳しい説明は忘れてしまったけども、確かそういうことを言っていた。その詳しい部分が大丈夫かとはなんだろうけども(

 

 自分としては本当に本当に頑張ったなら後悔せずに頑張って出来なかったんだから仕方ないよなというような気持ちになるんだろうから、後悔するようなできていない部分がまだあるってことなんだろうなと今は思う。

 ちなみに最近になってようやく残業がないような作業スピードになった。バイトを始めてばかりの自分は丁寧にやりすぎていたみたいだった。

絵に対する不安を少し

 ワンドロって企画(1時間で決められたお題に沿って絵を描くイベント)がtwitterにはあるんだけども、最近スランプ気味なこともあって参加していなかった。絵自体1ヶ月近くまともに描いてなかったのもあったけど。

 バイト最中に絵が描きたくなったから帰ってすぐワンドロの企画に(遅刻にはなったけど)参加したら思ったよりも伸びて大体50いいね貰えた。普段は15くらいが平均だったんだけども岩を描くのがうまくいったせいかなんなのかその時は沢山貰えた。

 それから過去作でボツになった絵を加筆しまくる形にはなったけども、なんとか絵を描くことができるようになった。バイトの最中になんで絵が描きたくなったのかはわからないけども、このまま描きたい感情がなくなりそうで怖かったからそこはよかった。

 

 

 それで、いいねを沢山貰えたから制作がまた出来るようになったのはまずいんじゃないかなと思った。

 褒めてもらってやる気が出るのは当然のことだと思うし、昔っからよくあることだったんだけども、このことは要は他の人からの評価によってやる気が変動したってことで、これから先趣味でするにしても仕事でするにしても他人の評価が続ける理由になってしまったときのことを考えたら続けていけれるのか不安になってしまう。趣味ならまだ辞めたくなったら辞めれるし休憩もできるんだけども、仕事となった場合はそうはいかないだろうし、仕事だから当然周りには商業レベルの人が当然の環境になって自分との比較なんてしたら落ち込むことは頻繁になりそうだし。

 絵の方向性とかテーマとか構図とか決めるのにも苦労してばっかりで、それに加えて周りとの比較をしてたらほんとに何もできなくなるんじゃないかと思った。

 理想は自分の絵の評価基準は特になくって、過去の自分とも他の人とも比較をせずに毎日絵を描けれるようになれればいいなあと思う。

 

 

 

 

 

 

ステラのまほう (1) (まんがタイムKRコミックス)
 

  最近どんどん可愛くなっていく漫画。同人ゲームを高校生がつくる話で、絵描き、プログラマー、プロットなどの人たちがそれぞれ特有の悩みを持っていて凄く好き。

 作中で主人公の本田珠輝に対して飯野水葉、通称はーちゃんがイラスト勝負を挑むシーンは正直完全な比較ってできるの?と思ったし勝っても負けてもお互い得しない勝負なのでは?とも思った。フィクションだから言う必要はないというのはナンセンスかもだけど、2人には絵の比較をする思考は身に付けないで自分の理想を追求して欲しいなあと思う。

最近調子が悪い

 最近いろいろと調子が悪い。

 

  絵はとくに調子が悪くて絵を描こうと思ってもアイデアが浮かばない状態が、絵を描くことそのものが嫌な風になってしまった。これはまずいと思って、既存の漫画を自分の絵柄に変換して描くみたいなことをやってしのいでいる。

 絵に自信が持てなくなったからかこの先どうやって生きていこう、これからどうしょうかというようなこともずっと考えてしまっている。うつ病はだいぶ回復したはずなんだけども、バイトを始めたせいかまた悪化しているような気がしないでもない。バイトをやり始めていろいろあるけれど、これがずっと続くのも嫌だなあと考えてしまう。だったら今までと違うことをすればいいんだろうけども。

 

 あとこの間熱を出した。家族内で熱が流行ったんだけども自分に移ってしまった。熱は2日で引いてくれたけども、鼻水が最近はずっと出ている。

〇〇するべきじゃなくて〇〇したら(もっと)良くなるよと言ったほうが気楽になれるんじゃないだろうか

 今回の記事を簡潔に言うと「〇〇するべき」という言葉、語尾は自分は好きじゃないですという内容。

 

 〇〇するべきというタイトルをよく見かけるようになった。

 グーグル検索での検索結果では特に出てくる。次は書籍でその次はテレビだろうか。社会人なら守るべきマナーだとか、日本人なら読んでおくべき〇〇の書籍だとかよく見かける。WEBに限った話ではなく、本のタイトルとしても「べき」という言葉はしばしば見かけるし、日常の会話や大学の講義でも聞くことはある。

 

押し付けに思えてくる

 正直この「べき」という言葉は押し付けがましく思える。

 これをやっておかないと後々置いていかれるけど大丈夫なの?とかこれをやらない奴はそれ名乗る資格ないよねといったような不安を煽るような、基準、0からマイナスしたような意味を感じてしまう

 使っている側からしたらそんな意味は含めてはいないとは思う。これをやっておいたらすごく楽になるからやっておいたほうがいいぞだとか、これを持っておくとすごく楽になるぞだとか、そういう意味合いなんだろう。けれども、この「べき」という言葉がつくだけで上記のような不安を煽るようなことを自分は感じ取ってしまう。 

 そもそも全く同じ価値観の人間は存在しないし、すべての方法がすべての人に通用するとは限らない。共感する部分が多くあったとしても共感できない部分というのは多少なりとも存在する。そこが存在する限り無理に考えや主張を押し付けようとは自分は思えない。

 価値観ではなくルール、規則の場合は別の考え方になるだろうが、共通する部分は同じように思う。集団で過ごす以上全員が好きに動いていたら共同体として動くことは難しくなるためルールというものがある。だからこれは〇〇するべきだという意見を聞くことはある。そういった場面ならば理にかなっているとは思うが。たまに何故そうすることをせねばならないのかを関係なしに、ただ強制する人がいる。まあ、これは言葉というよりもその人のやり方に問題があるように自分は思えるが、ただ強制するというのはお互い損だろうし、相手に説明する必要があるだろう。

 

 選択肢を狭める

 それに〇〇するべきだ、となったときには「この選択肢以外は有効ではない」という意味合いに自分は聞こえてしまう。考えが捻くれているような気はするものの、そう聞こえてしまう。他の選択肢は有効とは思えないということになり、選択肢は一つになる。そうでない人からみたら他の選択肢も浮かぶのであろうが、この言葉がつくだけでその考えを浮かばせる余裕もなくしてしまうように思う。

 

 思ったよりも自分がこの言葉が嫌いな理由がなかったけれどもだいたいこんなところだと思う。

 もちろん、「だからこのべきという言葉は使わないでいるべきだ」なんて事は言わないし、個人の自由。けど、なんか最近自分の周りだとよく見かけるようになって肩身がせまいというか、もう少し自由になってもいいんじゃないかと思った。

 

 

 

引っ越ししに行って思った事

 この間、引っ越しの作業をした。正確には大学に通うための下宿を引き払うので荷物を片付けていたのだ。

 実家から下宿に2週間ほどいて作業をしていたけれども、いろいろと思ったことがあったので書いておく。

 

 まず、暇。もちろん引っ越し作業という大事なものがあるのだけれども、普段よりもやれることはだいぶ少なくなった。テレビは見れないし、冷蔵庫はリサイクルのため食材を保管できず料理はできない、PCもないなどなどいろいろと普段やっていることは身の回りのものに支えられているのだなあと実感した。当たり前のことではあるけども。暇なときはだいたい3DSでゲームをしていた。MHXを中心にやっていたけれども、「携帯」ゲーム機であることにだいぶ助けられた感がある。据え置きゲーム機は当然TVがないとできないが、今度発売されるnintendo swichはそのあたりを解決するみたいで、据え置き機でも助けられそうだ。携帯できる据え置き機となるとどっちかわからなくなりそうだが。

 

 次に料理ができないと案外レパートリーが少ないということ。上記にあるが冷蔵庫をリサイクルしてもらうために食材を保管できずにいた。ほぼ毎日近所のスーパーでおにぎりやらパンやら買ってしのいでいた。普段それほど料理をするタイプではないのだけれど、料理ができないというのは思った以上に日々の華がなくなる感じがした。

 

 車を持っていないというのも不便だった。一応免許は持っている。カラーボックスやワゴンなどもう必要なさそうなものを一度リサイクルショップに回収してもらおうと思っていたのだけれども、予約がいっぱいで自転車で持って行こうかと思ったが結局無理だった。予約が取れればリサイクルショップ側に来ていただいて回収してもらえるから、自分の見積もりの甘さだったのだけれども車にはものを運ぶという役割があることをすっかり忘れていた。

 

 最後は、筋肉質の兄さんはかっこいいということ。冷蔵庫と洗濯機をリサイクルに出す際に電気屋に回収に来ていただいたのだけれども、そのときに20代中頃ぐらいのお兄さんが2人やってきた。それで、2人で1個ずつ運ぶんだろうなーと作業を見ていたら1人1個ずつ持って行ったのだからびっくりした。自分が普段運動しておらずあまり筋肉もあるとは言えないのだが、家電をひょいと持ち上げて「手伝いましょうか?」と聞いても「大丈夫ですよ!」と爽やかな笑顔で対応してくださるお兄さん方を見ていたら、なんとなくああいったタイプの人たちが女性に人気が出ると言われてる理由がわかった気がした。頼りたくなるというか、包容力ありそうというか。営業スマイルでマニュアル通りだったとしてもあれは凄いというか、自分にはできないだろうなと思った。

 

 

 …日記記事になってしまった。前回の記事でもうすこしゆるくとは書いたものの日記にはしたくないと思っていた。個人ブログなのだからデマだとか意味不明の記事とかを書かなければ大丈夫ではあるのだろうけど、あまり日記めいたものは流したくはないというか…少しでも有益になりそうであればいいのだけれども。とりあえず、有益にこだわりすぎるとろくな事がないのでこれでよしとする。

あけましておめでとうございます。気づいたら2016年が終わってました。

 

去年は鬱になったり睡眠障害だったりで大変だったけど、今年は鬱を優先的に治せればと思います。ただしあまり焦らずゆっくりと。

 

あと、ブログに関しては文体を柔らかくしてみようと思う。ただ、ですますはあまり使わない感じで。淡々とした雰囲気を目指して書いていたけれど、それに囚われて筆が進まずということが多くあまり記事を書けずにいたのは防ぎたいところ。ネタがあまりないのもあったが。